代表挨拶
1992年(平成4年)の弁護士登録以来、原後綜合法律事務所にて執務させていただき、2006年(平成18年)以降は、マネージングパートナー兼杉山室代表として活動してまいりました。2023年(令和5年)11月、同事務所のお許しをいただき、杉山室のメンバーと共に新たな弁護士法人を設立いたしました。 登録以来、最も印象に残り、私のバックボーンとなっている案件が2つあります。
まずは、東京HIV訴訟原告弁護団(薬害エイズ事件)としての活動です。1980年代前半、濃縮血液製剤により、国内約5000人の血友病患者のうち約1800人がHIVに感染し、差別と偏見にさらされ、十分な治療も受けられず次々と亡くなっていくという厳しい事件でした。国及び製薬会社5社を被告とする集団訴訟は、すでに進行中であり、私は1992年(平成4年)弁護士登録後すぐに原告弁護団に入れていただきました。修習時代の親しいクラスメートに誘われたのがきっかけです。入ってみると、弁護団の議論のレベルがあまりに高く、当初は辞めようと思ったことすらありました。しかし、反対尋問準備のため米国調査に同行したことをきっかけに、事件発生当時の事情が少しずつ分かっていくおもしろさに強くひかれ、また自分が担当する原告(被害者・ご家族)の方との交流を通じて、なんとかすべての被害者の方に良い解決をもたらしたいという気持ちが強くなり、相当な時間を割くようになりました。弁護士になって4年目の1996年(平成8年)に勝訴的和解という結果を見ることができ、和解を基礎として、その後も原告団・弁護団を中心に被害者に対する補償・支援の実現、HIV/AIDS治療の拡充、HIV/AIDS感染者差別の撤廃、薬害再発防止のための活動が継続しています。私も微力ながら関わり続けています。
もう一つは、抵当不動産の占有者の排除という事件です。私が弁護士登録をした1992年(平成4年)当時は、平成バブルが弾けて不動産の価格が下落し、不動産抵当権付債権の回収が緊急の課題となっていた時代でした。当時は占有者がいるだけで、たとえ権原のない不法占有者であっても、競売で買い手がつかず、金融機関も裁判所も困っていたのです。一方で、抵当権に基づく占有者に対する妨害排除請求は、当時の最高裁判例で否定されていました。そこで、原後綜合法律事務所の先輩・同僚と共に、民事執行法上の保全処分という制度を使って、新しい先例を作りつつ、占有者の排除を進めていきました。抵当権の実行という金融の最終局面で、依頼者である金融機関の優秀な担当者や、裁判官と議論をしながら、知恵を絞って不法占有者と闘っていくという仕事は、登録後間もない弁護士にとって得難い経験となりました。また、この経験を生かして、構造的な変化を遂げつつあった不動産市場において、国内外のクライアントからの相談や依頼を受けるようになり、投資用不動産のバリューアップ及び出口戦略に関する法的問題を数多く扱い、現在に至っています。
私たちのチームは、2006年(平成18年)以降、原後綜合法律事務所杉山室として、案件ごとにチームを組み、必要に応じて他の専門家も招いて議論を重ねながら、最善の解決を得られるよう努めて参りました。
企業や投資家の依頼については、単刀直入に事案を掘り下げていくようにしています。他の類型の事件の経験を踏まえ、様々な視点で、問題は何か、最も良い解決方法は何かを検討するように心がけています。単純に判例がこうだからと回答することや、依頼者が論点と考えてきたことのみに視野を限定して検討することは避けるようにしています。個人や中小企業が依頼者の場合には、法律以外の問題も含まれていることが多く、さらに広い視野で何が解決のカギになるかを検討するようにしています。いずれの場合でも、依頼者と共に二人三脚で戦うことをモットーとしています。
次第に案件の幅も広がり、刑事事件、家族法案件から企業法務まで、とりわけ知的財産権や大型・複雑な事業再生、事業承継及び再構築に関する案件を多数扱い、近時はスポーツ法に関する案件(スポーツ団体の運営、アスリートの法律問題に対する法的助言)も扱っています。
それぞれの弁護士が、弁護士会の活動などの公益的業務に時間を割いており、社会への貢献をしつつ多角的な視野を持てるように努めています。
今後も、私たちの姿勢とモットーを忘れないように、それぞれの得意・専門分野を少しずつ広げて、成長していきたいと思います。